“午後ティー”が日本のティービバレッジ文化に及ぼした影響とは? 『午後の紅茶』のこれまでとこれから
キリン公式noteより(公開日2022年10月28日)
11月1日は『紅茶の日』。『午後の紅茶』が生まれて36年が経ち、改めて日本のティービバレッジ文化と『午後の紅茶』の関係を考えてみることにしました。
そこで今回お呼びしたのは、静岡県で茶葉のショップ「teteria」や紅茶教室を営む大西進さん。
キリンビバレッジのマーケティング部で『午後の紅茶』ブランドマネージャーを務める田代美帆が大西さんと、『午後の紅茶』を起点とする、日本のティービバレッジ文化の変遷について熱く語り合います。
—大西さんは紅茶全般にお詳しいだけでなく、『午後の紅茶』に関する知識量がすごいと伺いました。Instagramの投稿からも“午後の紅茶愛”が伝わってきます…!
大西:日本のティービバレッジ文化の先駆けが『午後の紅茶』だと思っていて、いつも動向を欠かさずチェックしているんです。今日はお話できるのをすごく楽しみにしてきました。ちなみに今日の私の服は『午後の紅茶』ストレートティーカラーです。
—さすがのこだわりです(笑)。早速ですが、大西さんはご自身のショップ「teteria」や紅茶教室の運営、田代さんは『午後の紅茶』のマーケティングと、形は違えどお二人とも紅茶の世界で日々奮闘されています。昔から紅茶がお好きだったのでしょうか?
大西:実家がみんなコーヒー派だったので、子どもの頃は紅茶を飲む習慣はまったくなくて。中学生の頃、お店に置いてあるアールグレイを見て「探偵小説で見たことある名前だな」と手に取ったのが紅茶を飲んだ最初のきっかけです。当時は味なんて全然わからなかったんですけどね。背伸びして飲んでいるような感じでした。
大学生の頃に紅茶専門店に通い始め、縁あってそこで働くことになり、9年間紅茶を淹れ続けた末にそのお店を辞めて独立し、今に至ります。
田代:私は、実家の父が自宅にイングリッシュガーデンを作るほどのイギリス好きで。日常的に紅茶を飲む家で育ちました。大学卒業後はキリンビールに入社して『一番搾り』のマーケティングをしていたんですが、ずっと『午後の紅茶』を担当したいと思っていて、入社14年目で念願叶って今の部署に異動しました。
—お二人とも長い間、日常的に紅茶に親しんできたんですね。今日は『午後の紅茶』を起点とした日本の紅茶文化について聞いていきたいのですが、その前に、日本で紅茶を飲む習慣はどのように広まっていったのでしょうか?
大西:ティーバックが普及し始めたのは1960〜70年代のようですが、そのあたりの詳しいことはちょっと私も自信がないので、自分の感覚を元にお話しますね。日本紅茶協会(※)は今と違って、最初はハイソサエティな雰囲気を売りに紅茶の市場を広げていこうとしていたみたいです。紅茶協会のインストラクター講座も、一般の人が気軽に入れないような敷居の高いものだったようで。
※昭和14年に紅茶協会として設立され、その後種々変遷を経て、紅茶の輸入自由化が行われた昭和46年に現在の新しい組織に改組され、以後幅広く活発な活動をしている国内唯一の紅茶関連業者の団体。
—ホテルのアフタヌーンティーを想起させるような、ハイエンドな嗜好品という側面が大きかったということですね。
大西:ただ一方で、“街の紅茶屋”で気軽に紅茶を楽しむ層や、イギリス文化好きが高じて家で紅茶を飲むようになった人など、街角や家庭でいくつかの入口は用意されていたと思います。
【キャプション】大西さん手書きの『午後の紅茶』年表
—そこから紅茶をより大衆的なものに広げたのが、『午後の紅茶』をはじめとするペットボトル紅茶…ということでしょうか。
大西:いやあ、まさに『午後の紅茶』が日本のティービバレッジ文化の始まりですよね。ペットボトル紅茶界のクイーンと呼ぶべきだと思っています。
田代:ありがとうございます。『午後の紅茶』がデビューしたのは1986年で、当時すでに缶入りの紅茶飲料は販売されていたんです。キリンとしては紅茶文化をもっと広めたいという思いがあり、ちょうどペットボトル飲料が流行り始めた時期だったので、ペットボトル紅茶を出さないと紅茶は広まらないよね、ということで開発がスタートしたと聞いています。
大西:開発にはものすごく高い壁があったと思いますよ。透明のアイスティーを作るのって、すごく難しいじゃないですか。
初代『午後の紅茶』は1.5Lのストレートティー。イギリスのアフタヌーンティーのような「休憩」の文化を日本にも作りたいという思いから『午後の紅茶』と命名。パッケージの女性の肖像は、アフタヌーンティーの創始者と言われているアンナ・マリア・ラッセル。
田代:そうなんです。ペットボトルのアイスティーを作るには1つ大きな問題があって。紅茶は冷やすとにごってしまうんですよ。透明な容器に入れたときに「おいしそう」と思われるためには、クリアな紅茶を作る必要があった。キリン独自の製法であるクリアアイスティー製法が実現しなかったら、ペットボトルの形状にはできなかったと思います。
大西:クリアアイスティー製法って一体どういうものなのか、ずっと気になっているんですよね。
田代:いろいろと企業努力があるんです。詳細は企業秘密です(笑)。
大西:ちなみに『午後の紅茶』の特徴であるすっきりした甘さって、この製法と関係あるんでしょうか?
田代:そうですね。ティーカップで飲む紅茶とは違って、ペットボトル紅茶はごくごく飲めることが大事なので、「紅茶の香りを残しつつ後口すっきり」にはかなりこだわっていて、クリアアイスティー製法によってその味が実現されているところはありますね。
大西さん手書きの『午後の紅茶』年表
—先ほど大西さんから「『午後の紅茶』が日本のティービバレッジ文化の始まり」というお話がありましたが、ペットボトル紅茶の登場によって、日本での紅茶の楽しみ方はどのように変わったのでしょうか。
大西:まず、一般の食卓に紅茶があがるようになったのは大きいですよね。
田代:『午後の紅茶』は最初、1.5リットルのペットボトルで発売したので、「家庭の食卓で」「ファミリー向けに」という意図があったと思います。
大西:以前ある方から「『午後の紅茶』を飲むと子どもの頃の誕生日会を思い出す」と聞いて、なるほどと思いました。たしかにそういうシーンに登場していたよなと。
田代:紅茶がもたらしてくれる特別感ってありますよね。パーティーみたいな日とか、放課後の高校生のおしゃべりの時間とか、日常のちょっとした時間がペットボトル1本で華やかになる。『午後の紅茶』は日々にそんな効果を生み出せたんじゃないかなと思っています。今のペットボトルに施しているきらきらしたデザインも、その特別感を表現したものなんです。
—初期からの定番3商品が「ストレートティー」「ミルクティー」「レモンティー」。今まで商品ラインナップはどのように変わってきていますか?
田代:『午後の紅茶』は常に少しずつ改良をしていて、「ストレートティー」「ミルクティー」「レモンティー」の定番3商品だけでも、その時の課題や社会状況によってパッケージや味は何度もリニューアルしています。今日は過去の広告資料の一部を持ってきたんですが…。
「低カロリー」といった健康訴求や、茶葉の産地を記載するなど、パッケージのビジュアルにもさまざまな変遷が見られる。
大西:わ、これはすごい!パッケージの雰囲気はだいぶ変わってきていますね。
田代:たとえば健康志向が高まったときは低カロリーをアピールしたり、食品の産地偽装が社会問題化した時期にはラベルに産地を明記するようになったり…。
大西:あと飲料業界のトレンドでは、2000年頃に無糖緑茶ブームが始まり、この時期にコーヒーチェーンも増え始めました。このあたりで『午後の紅茶』にも「甘さを抑える」というリニューアルがあったと思いますが、やっぱり時勢の影響を受けて味も変わっているんですか?
田代:そうですね、やはり全体的に甘さ控えめになってきていますし、「おいしい無糖」を出したのもこの頃です。
大西さんが大切にご持参された、2012年数量限定発売の「午後の紅茶 ザ・パンジェンシー 初摘みダージリン」。初摘み茶葉「ダージリン・ファーストフラッシュ」を贅沢に使用した無糖タイプのプレミアム紅茶。田代さんも「私も現物を見たのは初めて!」と感動。※現在は販売終了。
—『午後の紅茶』の変遷を見ると、当時の消費者の動向や社会の状況が見えてきますね。
大西:『午後の紅茶』って、全部社会と連動してるんですよ。もちろんキリンさんが開発し、作っている商品なんですけど、同時に世間が作っている商品のような印象を私は持っていて。
キリンさんは冒険的な新商品で勝負をするというよりは、いつも世間のニーズにぴったり合うものを出してくる。ちゃんと市場が整ったタイミングで商品を出す…というのを徹底している会社だと感じているのですが、田代さんいかがでしょう?
田代:おっしゃる通りです。お客さまに愛していただくためには社会背景がすごく大事だと思っていますし、社会に合わせていくのがお客さまにとって必要なブランドになるために大切なことです。お客さまがあっての商品なので、常にそこはリサーチしていますね。
—ここまで『午後の紅茶』の歴史を辿ってきましたが、現在はどういったトレンドがありますか?
田代:今、「おいしい無糖」がかなり好調で、定番3商品と並ぶ勢いで伸びているんです。
大西:無糖、そんなに人気なんですね! 『午後の紅茶』=甘いというイメージが定着したあとでの「無糖」の投入はかなり大変だったと想像しているのですが。
田代:2003年に「おいしい無糖」を発売してから、お客さまの反応を見つつ学びを得ることを繰り返して、小さな種をたくさんまいてきました。その中で蓄積された「よりおいしいものを作るにはどうすればいいのか」の積み重ねが、今の「おいしい無糖」の人気につながっているのかなと思います。
大西:たしかに「アジアンストレート」「ジャスミンティー」「セイロンティー」「特保(特定保健用食品)」…とさまざまなラインナップを経ての「おいしい無糖」ですもんね。今は「食事のお供に無糖紅茶」というのが定番化していますよね。
—無糖を含めた主力4商品、という構図になっているんですね。この先『午後の紅茶』はどんなふうになっていくと思いますか?
大西さん手書きの家系図『午後ティーという家族の物語』
大西:以前、フードエッセイストの平野紗季子さんとPodcast『味な副音声』で話したときに、日本のティービバレッジって、もはや大河ドラマみたいだよねという話になって。『午後の紅茶』一族の今までの流れを整理すると、定番化した商品が25歳くらいになると次の子ども(新機軸の商品)が生まれるので、「無糖」の子どもがどうなるのかはすごく気になっています。
田代:初代「無糖」が25歳になるのは、2036年頃ですね。その頃はどんな未来になっていて、それに向かってこれからどんなものが求められているのか…。未来に向けて何をするべきなのかというのは、今まさに考えていて、次の時代に向けた商品の開発を進めているところです。大西さんとしては、どんな商品があるといいと思いますか?
大西:新しいものを生むには、これまでの商品のいいところを残しつつも過去を否定していくことが大事なんだろうなと思っています。個人的には、香料を使わない紅茶…とかでしょうか。ただハイエンドだけに向かってもダメだと思うので、定番品で売り上げを守りつつ商品の多様性を広げていくことがきっと必要なんですよね。次に何が来るんだろう?って考えるのが、楽しいですね。
—新商品の開発だけでなく「紅茶文化を広げ、根付かせる」というさらに広い観点では、今後どのようなことをやっていきたいですか?
田代:ペットボトル飲料業界の中では、紅茶のシェアはまだ5%ほどなんです。それはすなわち「(ペットボトル紅茶を)いつ飲めばいいのか」をお客さまに訴求できていないということだと思っています。その課題に対する答えを探していくのが、私たちの役割なのかなと。
紅茶を飲みたくなるシーンをきちんと提案すること。それから、商品として圧倒的においしいものを作ること。その2つを両立することで、もっと紅茶が日常に入っていくきっかけを作れるんじゃないかなと。
—大西さんは、今後紅茶文化を一緒に盛り上げていく仲間として『午後の紅茶』に何か期待することはありますか?
大西:定番商品の継続はもちろん、いろんなチャレンジができるのがキリンさんの強さだと思うので、「紅茶でこんなことができるんだぞ」というのを見せてほしいという期待がありますね。
田代:たしかに、定番品以外にも「フルーツティー」「ティースパークリング(炭酸紅茶飲料)」などこれまでいろんなバリエーションを作ってきましたし、こういった幅広いラインナップを揃えるのは紅茶にしかできないことなんですよね。たくさん種類を作って「朝飲むのはこれ」「寝る前はこれ」といったシーンと合わせてお伝えしていきたいです。
大西:私は紅茶に携わる会社や人はみんな「株式会社紅茶」の一員だと思っていて。一緒に紅茶文化を盛り上げていく同士というか…それぞれが別部署という感覚です。その中で、キリンさんはガンガン業績を上げている「第一課」みたいな位置付けです。
やっぱり、全体が盛り上がらないと国内で飲めるおいしい紅茶はどんどん減ってしまうので。私のような個人店からキリンさんのような大企業まで、いろんな分野の人がそれぞれに一生懸命紅茶の良さを伝えていかなきゃいけないなと思っています。
田代:第一課!でもまさにその通りで、私たちも「新商品で一発当てよう」じゃなくて、文化としてどう根付かせていくのかを考えながらトライ&エラーを繰り返してきましたし、これからもそうしていきたいです。紅茶という飲み物がいろんな飲料の中でも特別なものだと思ってもらえるように。
大西:あとは、紅茶を飲む嬉しさみたいなものをやっぱりちゃんと伝えていきたいですよね。疲れ切ったときにキュッと一杯飲むと気持ちが回復できたり、「あと少しがんばろう」と思わせてくれたりするような、「おいしい」だけじゃない紅茶の効能も体感として感じているので。
田代:わかります。私は紅茶を飲む時間を「素の自分に戻れる瞬間」だと感じていて。日々のちょっとした幸せを生むためにベストマッチな飲み物だと個人的には思っているんです。
大西:いいですね。私も私で頑張りますので、第一課としてじゃんじゃんやっていってください!