キリンレモンにまつわる豆知識を集めました。
読んだら周りの人に披露したくなるかも?
-
キリンレモンのキャップには、実は数10本に1本聖獣麒麟の絵になっているキャップがあるってご存じでしたか?
レアなキャップをぜひお店で探してみてください。 -
聖獣麒麟は紀元前から中国に伝わる伝説上の動物です。慶事の前に現れると言われ、おめでたいしるしとも考えられています。
-
1853年(嘉永6年)、黒船で来航したペリーが運んできたシュワシュワの不思議な飲み物「ラムネ」。このラムネが元になり、「レモン水」として日本でも炭酸水が頻繁に飲まれるようになりました。
明治19年、炭酸飲料を飲めば当時流行していた伝染病コレラには感染しないという風説から、日本にラムネブームが巻き起こります。 -
昭和2年、キリン初の清涼飲料水開発のために、優秀な技術開発者として本城杢三(ほんじょうもくぞう)をスカウトしました。
レモンのさわやかさにこだわり、レモン果皮などから採った香料を調合。本城は他社に真似されないよう、部屋に鍵をかけて開発に明け暮れました。神経衰弱になるほどの苦労の末、昭和3年、キリンレモンは誕生しました。
-
本城氏が身を削って完成させたキリンレモンのレシピは、門外不出。選ばれし後継者のみに伝承されていく、トップシークレットでした。
当時から、「絶対ニ人工着色ヲ施サズ」という信念のもと、無色透明に。その透明さを見せるため、当時は珍しかった透明な瓶で販売。さらに品質保持のため、1本ずつ紙に巻いて出荷していました。
-
当時の販売価格は、1本25銭。(当時、あんぱん1つ5銭、ラムネが1本2銭。)味も品質も最高の1本をつくるために妥協しない姿勢が、ここにありました。
-
昭和44年に起こったチクロ(人工甘味料)ショックの影響で、飲料の品質が重視されるようになると、ずっと品質本位をつらぬいてきたキリンレモンは、社会から高い評価を受け、人気を高めることになりました。
-
一度は聴いたら忘れられない、思い出すと口ずさみたくなってしまうあの歌は、三木鶏郎氏が作曲したもので、1961年に発表されたと言われています。テレビCMやラジオで流され、おなじみの歌となりました。その後は、さまざまなアレンジも加えられ、幅広い世代に親しまれる歌となりました。