長く続くブランドは「始まり方」に理由がある。23年前の担当者と語る生茶の原点とこれから
キリン公式noteより(公開日2023年8月1日)
よりすっきりとした味わい、キラリと光るラベルデザインに生まれ変わった『生茶』。リニューアルを記念した連続企画として、ブランドのこれまでを振り返り、この先を考えていく「読む生茶~これからのお茶~」がスタートしました。
2回目となる今回は、現在マーケティング担当をつとめる飯髙宏美が聞き手にまわり、2000年のブランド誕生当時を知る開発担当・大西功一にインタビュー。
「私たちが本気で伝えたい、生茶の価値ってなんだろう?」
『生茶』ができあがるまでの背景を掘り下げながら、ブランドの変遷や受け継いできたもの、そしてお茶をとりまく文化の“これから”を語り合います。
左が生茶の現マーケティング担当・飯髙、右が生茶誕生当時を知る開発担当・大西
飯髙:前回の記事で『生茶』の歴史を振り返るにあたって、大西さんには事前に取材をさせてもらったのですが、今回はさらに詳しく伺えたらうれしいです。
大西:『生茶』の開発当時、僕は29歳でした。その頃、飲料業界では、コーヒーとお茶と炭酸飲料がボリュームの大きい3大カテゴリーといわれていたんですが、キリンはまだそのカテゴリーに強いブランドを持ってなかったんです。会社としても“お茶にもっと力を入れよう”という流れがあり、『生茶』の開発が始まりました。
開発チームのリーダーには、のちにキリンビバレッジの社長もつとめた佐藤章さんがいて、あとは自分も含めて若手の社員が3人という小さなチームだったんです。そのなかで、僕は『生茶』の中味づくりを主に担当していました。
飯髙:「お茶に生」という商品コンセプトは、わりと早くから決まっていたんですか?
大西:そうですね。僕が参加したときにはすでにそのあたりのアイデアは固まっていて、最初は生のお茶と聞いて「すごいな」と思っていました(笑)。
「お茶に生」というコンセプト以外はなにもない状態なので、自分たちで『生茶』の味をつくっていかないといけない。まずは「渋みがなくて飲みやすい、柔らかい味」をイメージして、低温抽出でできないか?というところから取り組みました。ビールで例えると、混じりけのない旨さや飲みやすさがある、ピルスナーみたいな感じをイメージしていたんです。
飯髙:生茶=ピルスナーという考え方は、おもしろいですね!
大西:今考えてみると、自分たちの子どもの頃の体験も味づくりに影響したのかもしれません。神戸の親戚の家に遊びに行ったときに、水出しの冷たい緑茶のおいしさを教えてもらった記憶があって。当時のリーダーだった章さんも昔から水出し緑茶を飲んでいたそうで、チームのなかに旨みや甘みの強い、冷たい緑茶のイメージがすでにあったんですよね。
飯髙:子どもの頃の原体験が共有できていたのは、すごいですね。そこから、味づくりで苦労されたことってありましたか?
大西:方向性は決まっても、納得いく味を出すのには茶葉選びから何から、相当苦労しましたね。一年くらいかかったんじゃないかな。“生”を目指すのは共通していながら、「スッキリとしたクリアな味」と「濃厚でしっかりした味」でチームの意見が割れたこともありました。結局は、そのちょうどいいバランスを狙っていくことになるんですけど。
飯髙:一年かけて、「これだ!」という味にたどり着いたんですね。
大西:ようやく許しを得たっていう感じでしたね(笑)。当時は湘南工場に開発研究所があって、そこに通いながら、研究者と一緒に試行錯誤していました。研究所の長に飲んでもらうと、「これじゃダメだろう」と言われて、何度も何度も出直して。本当にありとあらゆることを試して、最後には「これならいける」という味が見つかったんです。
飯髙:味づくり以外にも、ネーミングやパッケージなど、ブランディングの背景をお聞きしたいです。
大西:最初は「日本を代表するお茶」というイメージで、生茶大和とか生茶桜とか、いろいろなネーミング案があったんですよ。だって「生茶」って「生ビール」みたいなものだから、名前じゃなくてカテゴリーじゃないかと(笑)。でも、そういう新しいジャンルを作るんだっていう意味もあって、結局は『生茶』で勝負しようということになりました。名前が決まったら、パッケージデザインの方向性も見えてきたんです。
飯髙:当時のデザイナーさんがニューヨークに行き、デパートの日本フェアで展示されていた「すりガラスの茶器」を見て、アイデアがひらめいたんですよね。
大西:そうそう。すりガラスの冷茶グラスが、『生茶』のイメージに近かったんです。そこから発想した初期のアイデアは、透明のボトルに、葉っぱが一枚だけ描かれているシンプルなデザインでした。日本を離れて、ちょっと違う視点からお茶文化を見ることができて生まれたアイデアです。
ただ、透明のラベルにグラデーションっていうのはものすごく難しい印刷技術だそうで、綺麗に色を出すのに苦労していました。
飯髙:革新的な商品ではありつつ、安心感が求められるカテゴリーでもあるので、バランスが難しいですよね。時代によって『生茶』のデザインは変わっていますが、落款|《らっかん》はずっと残っているのも、そういう安心感の象徴なのかなと。
初期のボトル。赤い落款がアクセント。デザインがリニューアルしても継承されている
大西:『生茶』開発チームの一人だった女性の担当者が、落款にはすごくこだわっていましたね。僕が「こんなん別にいらんのちゃいます?」と言ったら、「緑に赤の落款っていうのが緑茶の記号だから、これは絶対に守らないと」って。改めてそう言ってもらえると、やっぱり落款を残して良かったなと思いますね。
飯髙:松嶋菜々子さん、高倉健さんのCMも影響が大きかったと聞きました。
大西:そうですね。編集スタジオであのCMの完成版を見たときは、ちょっと泣きそうになりました。
飯髙:ヒットを受けて、開発チーム内はどんな雰囲気でしたか?
大西:みんな喜んでいましたね。ただ、さっき話した開発チームの女性担当者が、発売と同時に会社を去るというできごとがありました。社内でもエースのような人だったんですが、結婚を機に別の人生を歩まれるということで、ヒットの恩恵を受けることなく去ってしまって。当時、僕と後輩の2人で「彼女の子どもが物心つくまでは、生茶ブランドを頑張って残そう」と話したのを覚えています。
飯髙:ドラマのようなお話ですね…。大西さんは、『生茶』の開発を振り返って「もっとこうしておけばよかった」と思うことはありますか?
大西:『生茶』に関してはないですね。リーダーの章さんも「一点の曇りもないものができた」と言ってましたから。社内も勢いづいて、自信がついた経験でした。
飯髙:大西さんは、その後、2010年頃まで『生茶』チームにいらっしゃったんですよね。
大西:そうですね。発売時こそ反響はありましたが、その後、苦しい時期もあって、もがいていました。「開発チームとして生みだしたこのブランドは自分が背負わなきゃ」っていうプレッシャーがずっとありました。
飯髙:競合商品も増えてきて、2005年以降は難しい時代だったと聞きました。
大西:やっぱりみんな新しいものが好きですから、そこでちょっと苦しんだかなとは思いますね。だから、僕が異動したあと取り組んでくれた2016年のリニューアルが成功したときは「よくぞやってくれた」という思いで見ていましたよ。蘇らせてくれてありがとうって。微粉砕茶葉の効果が出て、生茶らしいまま濃厚になっていてすごくおいしかった。
当時、スーパーで買い物をしていたら『生茶』を買う買わないでもめていた夫婦がいたんですよ。多分もっと安い商品があったからだと思うんですけど、「こっちの方がおいしいし、俺は生茶が好きや」って男性が言っていてね(笑)。それを見てすごくうれしかったな。
飯髙:そういうシーンを見ることができると、やっぱりグッと来ますよね。大西さんは「生茶らしい味」って改めてどういうものだと思いますか?
大西:やっぱり緑の清々しい感じと、苦味や渋みのない甘さですかね。緑茶って紅茶とは違って不発酵茶だから、そもそもが“生”茶だと思うんですよ。そのなかでも、葉っぱの味がそのまま感じられるっていうのが『生茶』らしい味だと思っています。
飯髙:当時の設計図を見ていると、やっぱり甘みやみずみずしさというワードが多いですよね。お茶のうまみ成分である「テアニン」に着目したり、低温抽出で甘みを引き出すっていう発想や知見が最初からあったのはすごいなって。
大西:最初からあったわけではなかったですよ。
よく「本場と現場に行け」って言いますけど、水出しや氷出しのお茶の味を知っているサプライヤーさんや業界のプロに話を聞いて生まれた発想です。彼らから教えてもらったお茶のおいしさをいかに商品にしていくかが、我々メーカーの開発者の仕事。本場で教えてもらって、それを拡げて、お茶文化を底上げしていくんです。
飯髙:今ってペットボトルの緑茶が当たり前の存在になってしまって、なかなか当時のような衝撃は起こせない。でも、大西さんがおっしゃるような品質へのこだわり、キリンの職人的な部分に立ち返るのはすごく大事なのかなと感じました。
大西:やっぱり「生茶のどこを表現したいか」というポイントを伝える必要がありますよね。生のみずみずしさなのか、スタイリッシュさなのか、そういう価値を特定して表現していくこと。今は発売当時と違ってニーズがわかりにくいから、難しい時代ではありますけどね。『生茶』導入時のターゲットって知ってますか?当時の資料には「老若男女全国津々浦々」と書かれてたんですよ(笑)。
飯髙:もはやターゲットというより、全員ですね。
大西:そうなんですよ。章さんが言っていたのはそういうことで、「誰もがいいと思う絶対価値を見つけなきゃいけない」と。日本は生食文化だから、『生茶』というと質がよくておいしいという価値観が全員に通用する。そういうスケールの大きい発想なんです。そんなふうに、時代に合わせた『生茶』の絶対価値を改めて問い直すのが大切なのかなと思います。
飯髙:私は今、ちょうど大西さんが開発チームに入られたときと同じ29歳なので、『生茶』にしかない魅力を引き継いでいかなければと今回改めて感じました。
大西:僕は関西人なので、もともと商人の気質に近かったのが、キリンに職人として育てられたという感じがあるんですよ。だから、そういう職人気質なところや、キリンのよさを受け継いでいってもらえたらいいなと。まあ、『生茶』っていうのはもともと新しい自由なブランドなので、おもしろく、のびのびやってほしいです。
29歳といえば、社会人として始まったばかりですからね。新しいことへの期待に満ちていて、いろいろな出会いがあって。そういう明るいものや、夢をもって生きていっていただけると、『生茶』もよりよくなっていくんじゃないでしょうか。
飯髙:そうですよね。やっぱり歴史のあるブランドですし、定番化しているなかで、だんだん視野が狭くなってしまうこともあって。もっと自由に考えてみます!
大西:結局は「届けたい価値があるかどうか」だと思いますよ。いくら論理的に考えても、本当しか、本気しか伝わらないですから。「本気で世の中に伝えたい」と思うことは何なのか。自問自答したときは、そう考えてみてください。
飯髙:大西さん、ありがとうございました!