元日本代表×キリン社員が語る「女子サッカー」の未来。サッカーが生み出す“つながり”とは
キリン公式noteより(公開日2023年7月27日)
「2011年のワールドカップ優勝をきっかけに、女子サッカーの競技人口が増えました。私が子どものころは、“女子がサッカーをするなんて!”と言われていた時代ですから、日本の女子サッカーはこの10年で大きく変わってきましたね」
そう話すのは、元サッカー日本女子代表で、3大会連続でワールドカップに出場した、なでしこジャパンコーチ・宮本ともみさん。
日本サッカーの発展を担ってきたJFA(日本サッカー協会)と、1978年から日本サッカーを応援し続けてきたキリン。そんな両社が共同でお伝えするnote連載「#サッカーがつなぐもの」
今回は宮本ともみさんと、大学時代には国体選手に選抜されるほどサッカーに打ち込んできたキリンビール・樋口麻美が、女子サッカーの発展の軌跡、女子サッカーならではの魅力と可能性、そしてキリンのサッカー応援に対する想いについて語り合いました。
―お二人はプロ・アマチュアという所属こそ違いますが、選手としてサッカーに身を捧げた点で共通していますね。
宮本:はじめまして。今日はよろしくお願いします!
樋口:こちらこそよろしくお願いします。先日行なわれたJFA 第34回全日本O-30女子サッカー大会(※)に、宮本さんは選手として出場されていましたね。実は、わたしも同じ大会に参加していたんです。
宮本:えっ、そうだったんですか!もしかして試合であたっていましたか?
樋口:はい(笑)。結果は完敗だったんですが、宮本さんのチームと対戦できるなんて光栄でした。今日はよろしくお願いします。
(※)30歳以上の女性を主な対象に、大会に参加する女性がサッカーを通じて友好と親睦を深め、幅広くサッカーを浸透・発展させることを目的とした大会。
―お二人は現在でもサッカーを楽しんでいるのですね。宮本さんは現在指導者としてもご活躍されていますが、現役時代で印象に残っている場面を教えてください。
宮本:アテネ五輪の出場権をかけて勝利した、2004年の北朝鮮戦です。あの試合は今でもよく覚えています。
当時の日本女子サッカーは、前回大会のシドニーオリンピックの出場権を逃したことでスポンサー企業の撤退が相次ぎ、いくつものチームが廃部でなくなるなど、プレー環境は非常に苦しくなっていました。だから、ここで負けて2大会連続でオリンピック出場を逃したら、日本女子サッカーは終わってしまう。
しかも対戦相手の北朝鮮は、当時アジア最強といわれ、日本が13年間も勝てていない相手。勝てばオリンピックの出場権を得られる一方、負ければ出場権を失うだけでなく、すべてを失う。そんな状況でした。
樋口:私もあの試合はよく覚えています。たしか、舞台は東京・国立競技場でしたね。
宮本:そうです、そうです! JFAや関係者の大変な尽力もあって、当日は3万人を超える方々が会場に詰めかけました。観衆が数百人しかいないなかで試合をするのが当たり前だった私たちにとっては、本当にものすごい大観衆でした。
そして結果は、3-0で日本の勝利。この勝ちをきっかけに、日本女子代表には「なでしこジャパン」の愛称がつきました。まさに、女子サッカーの未来がつながった瞬間で、私の生涯で一番大きな試合です。
宮本さんの現役時代。©JFA
―樋口さんは大学院までサッカーを続けて、キリンビールへ入社されたそうですね。
宮本:ずっとサッカーひと筋でやってきたんですか?
樋口:私はもともとバスケットボールをやっていたのですが、高校生のときにサッカー部の先生に勧められ、大学からサッカーを始めました。
地元・佐賀で一番になろうという目標を立てて、監督も男子サッカー部にお願いし、一生懸命に練習しました。そして3年生のときに佐賀県の女子サッカー選手権で優勝することができたんです。
大学4年間ではプレーし足りず、大学院進学後も2年間みっちりサッカーをしていました。
2023年に開催された、全日本O-30女子サッカー大会に出場した際の様子
宮本:キリンへ入社したのは、やっぱりキリンがサッカーを応援しているというのが理由にあったんですか?
樋口:そうですね、そこは志望理由の重要な一つになりました。入社後は、せっかくこのような経歴なので、誰かと一緒にサッカーを観るときには「今のプレーこうなんだよ」みたいな解説をくわえて(笑)、みんなが少しでもサッカーを好きになれるように努めています。
―2000年代の女子サッカーの環境は、現在とはまただいぶ違ったのではないでしょうか。現役時代、なにか大変だったことはありましたか?
樋口:私は国体選手に選んでいただいたこともあったのですが、九州大会や全国大会に出場するときの旅費が、男子は協会が全額負担するのに対して、女子は一部自己負担でやってくださいという形でした。やっぱり競技人口が少ないこともあって、女子と男子では、環境が違うんだなと感じましたね。
宮本:記憶にあるのは、子どものころに「サッカーなんて激しいスポーツ、女の子がやるもんじゃないよ」と言われたり、現役のころに「結婚します」と言ったら、当時の女性アスリートは結婚したら引退するのが当たり前といったムードがあったので「サッカーやめちゃうんだ!」とよく言われたことです。
男子だったらそんなことはまず言われないと思うので、まだまだ女子サッカーは、そういう認識なんだなと感じました。
かといって、特に大変だとは思っていませんでした。認めてもらいたいとか、注目を浴びたいと思ってやっていたわけではなく、ただ純粋にサッカーが楽しくてやっていたので。
小学生でサッカーを始めたときも、女の子は私一人で周りはみんな男の子でしたが、それが大変だとは別に思っていませんでしたね。
―その時代から、女子サッカーの環境はどう変わっていきましたか?
宮本:2011年のワールドカップで優勝したのを機に、いろいろとよくなりました。まずは、競技人口がすごく増えた。そして代表戦や強化合宿の回数も増え、待遇面もかなり改善されました。女子でもサッカーを職業にできるようになったことが、それを象徴しています。
2011年に開催された女子ワールドカップ ドイツ大会では優勝を果たした。©JFA
そしてなにより大きかったのは、「女子がサッカーをすることなんて当たり前」というふうに、世の中の認識が変わったことではないでしょうか。
現在ではトップにWEリーグ(Women Empowerment League/ウーマンエンパワーメントリーグ)があって、その下になでしこリーグの1部と2部があり、オーバー30や40、ママさんのチームなどもあります。
こんな風に女子がサッカーをプレーする選択肢や受け皿が大幅に広がって、生涯スポーツにグッと近づいたと感じています。
樋口:国内での選択肢が広がっただけでなく、海外チームに入る日本人選手もだいぶ増えましたよね。しかもマンチェスターシティ、ASローマ、リヴァプールといった名門チームに所属する選手が何人も出てきています。
今回の女子ワールドカップでも、活躍が期待されていますね。これも、ここ10年くらいの大きな変化です。世界のトップチームまで可能性が拓けているのは、すごく夢があります。
―そうした日本女子サッカーの進歩・発展を、キリンは長年、後押ししてきました。キリンのサポートを、どんなときに感じてきましたか?
宮本:現役時代は、キリンチャレンジカップをはじめとする国際親善試合に何度も出させていただいたので、そのありがたみをひしひしと感じていました。
やっぱり、外国人選手ならではのスピードやパワー、リーチといったものは、国内リーグでは体感できないんです。でも、キリンチャレンジカップのような国際親善試合によってそれをしっかり体感し、オリンピックなどの本番までにアジャストできる。
また、代表戦を行うことで、女子サッカーの存在を多くの人に知ってもらえる面もあります。それをふまえると、キリンの応援があったからこそ、今の日本女子サッカーの発展があることは間違いありません。
樋口:テレビやスタジアムで国際親善試合を観たことをきっかけに、サッカーを始める女の子も多そうですよね。
宮本:実際にそういった代表選手が、何人もいますよ。
それと、子どもがサッカーを楽しむには、家族のサポートや理解も大切です。以前参加したイベントで、子どもだけではなくお母さん方と一緒にプレーする機会が何度もありました。子どもがサッカーに触れられるのはもちろんですが、お母さんが一緒にプレーできるところも、すごくよかったなと。
お母さん自身がサッカーを好きになれば、当然子どもにやらせたいと思うでしょうし、子どものサッカーを応援するにあたっても、プレー経験があれば、より楽しく気持ちを込めて応援できます。
サッカーの裾野を広げる点で、家族も一緒にサッカーを体験して好きになってもらうことは、すごく大切なポイントだと思います。
樋口:私は、キリンチャレンジカップをはじめとする親善試合のあと、選手への賞品の贈呈シーンを見ると、わたしたちがテストマッチの場を通してサッカー界に貢献できていることを実感します。
これが後々、日本サッカーの発展や成果、そして多くの人たちの笑顔につながっていくのかなと思うと、キリンに勤めていてよかったと感じます。
宮本:キリンが長年、日本サッカーを応援し続けてこられたのは、なぜでしょう?
樋口:サッカーは小さな子どもから高齢の方まで、本当に幅広い世代でプレーされるスポーツです。また、あらゆるスポーツの中でも、トップレベルで世界に普及しています。そして熱狂の度合いも非常に高いです。だからこそ、人びとに笑顔や涙といった特別な感情をもたらし、そうした感情を共有した人たちに“つながり”を生みます。
そうして考えてみると、サッカーとお酒には共通する点が多々あると思うんです。どちらも世界中で愛され、笑ったり泣いたりする人々のそばにあり、人と人をつなげてくれる。どちらも感動をともにできるものですよね。
だから当社の製品も、日本サッカーの応援も、人々に笑顔とつながりをお届けするという点で、ゴールは一緒なのかなと捉えています。
宮本:ものすごく素敵なお話が出ましたね(笑)。
―宮本さんもぜひ、サッカーにどんな力を感じているかを教えてください。
宮本:私にとってもサッカーで一番好きなのは、知らない人とつながれるところです。サッカーがあれば、たとえ全然知らない人であっても、お酒を飲みながらみんなで仲良く観戦したり、不意に抱き合ってよろこべたりする。そうやって、他人と同じものを観て、感動して、よろこび合って、つながれる。
しかもサッカーの場合、本当に規模感が大きいですよね。これだけ世界中で愛されていて、しかも家や仕事場のテレビはもちろん、スポーツバーや街なかのスクリーンなど、同じ場面を共有できる仕組みが備わっている。そう考えると、サッカーってすごい発明ですよね。人びとをつなげる“魔法の装置”ではありませんが。
樋口:テレビでもインターネットでも、サッカーの話題を目にしない日はありませんよね。
宮本:だから海外に行ったときに、言葉がわからなくてもサッカー選手の話をすれば会話ができて、ちょっと親しくなれたりもするんですよね。
―では、お二人が関わってきた「女子サッカー」ならではのおもしろさや魅力は、どんなところにありますか?
宮本:私が考える魅力の一つは、テクニックの高さですね。女子は男子ほどフィジカルが強くなく、その分、テクニックが必要となる。だから女子選手のテクニックは、基本的にすごく高いと思います。
純粋にその技術を観て楽しむのはもちろんだし、例えばフィジカルがまだ育っていないお子さんとか、パワーやスピードに自信がない人に、テクニックで活路を見出す方法を学んでもらうのもすごくいいと思います。
樋口:私は、今後の「可能性」も、女子サッカーの大きな魅力だと感じます。男子に比べれば競技人口はまだまだ少ないし、環境整備も発展途上という印象です。
一方で、最近は小さなころからサッカーを始める女の子がすごく増えているし、海外に挑戦する人ももっともっと増えるでしょう。そう考えると、現時点から見た伸び率や可能性は、計り知れないものがあると思います。
―いよいよ、「FIFA 女子ワールドカップ オーストラリア&ニュージーランド 2023」が始まりました。今回のなでしこジャパンの見どころを教えてください。
宮本:私もコーチとしてチームに参加しているのですが、今回の池田太監督のチームは、「奪う」がコンセプトです。文字どおり、アグレッシブにボールを奪いにいって、ゴールを奪いにいき、その結果、勝利を奪う。そういったアグレッシブさを、ぜひ楽しんでもらいたいです。
今回のワールドカップではコーチを務めている。©JFA
―樋口さんは、今回の大会にどんなことを期待していますか?
樋口:これまで女子ワールドカップには、毎回感動や勇気をいただいてきました。今大会も、選手のみなさんに全力を出してもらい、それによってまた感動や笑顔が生まれ、いろいろ人たちの間で素敵なつながりが生まれればいいなと期待しています。
―最後に、宮本さんの今後の夢を教えてください。
宮本:小さいころからサッカーをやってきて、サッカーを通して成長させてもらいました。一緒にやってきた仲間という、かけがえのない財産も得ることができ、サッカーをやってきて本当によかったと感じています。そんなサッカーに、恩返しをしたいと思っています。今はなでしこジャパンコーチとして、女子サッカーの発展に少しでも貢献できたらうれしいです。
あの、3万人を超える観客がつめかけてくれた、2004年の北朝鮮戦。チームメイトの声も聞こえないくらいの大歓声に包まれてサッカーができて、本当に幸せでした。
そして、勝ってオリンピック出場を決めたとき、観客のみなさんがすごくよろこんでくれ、まさにスタジアムにいた全員とつながれた感覚がありました。あのときの観客動員数は、日本女子サッカーの国内試合の新記録で、いまだに破られていません。
指導者として、またああいった経験ができたらいいなと、心から思います。
文:田嶋 章博
写真:田野 英知