発酵はこれからの時代に適している。世界初の酵素を発見した研究者が語る、発酵の未来と可能性

キリン公式noteより(公開日2022年12月1日)

ビールやワインを造るのに欠かせない発酵。食品のイメージが強い発酵ですが、実は発酵の可能性はそればかりではありません。発酵により作られた各種アミノ酸・核酸を用いた原料は、医薬品や化粧品、健康食品などに形を変え、私たちの暮らしを支えています。

「発酵」って、これからの時代に適した技術――。

そう話すのは、キリングループのヘルスサイエンス事業を担う「協和発酵バイオ」で執行役員としてR&BD部長を務め、生産技術研究所長を兼務する田畑和彦。田畑は、なぜ「発酵」に魅せられ、長年発酵に関する基礎研究に取り組んできたのでしょうか。その経緯や発酵技術の可能性、思い描く未来像を語ってもらいます。

【プロフィール】田畑 和彦

協和発酵バイオ株式会社 執行役員 R&BD部長 兼 生産技術研究所長

“ダメもと”で挑んだ「ジペプチド」合成酵素の新発見

─田畑さんは入社以来ずっと研究畑を歩んでこられたのでしょうか?

田畑:そうですね、「協和発酵バイオ」の前身の「協和発酵工業」に入社して、足かけ23年…拠点は東京、つくば、山口などと転々としてきましたが、ずっと研究所を渡り歩いています。今は山口の研究所と東京の本社を行き来しています。

─山口の生産拠点と東京を行き来されているんですね。学生時代から発酵に興味を持っていたのですか?

田畑:大学選びの時点でなんとなくバイオ分野に取り組みたいな、という思いがあったんです。世の中的にもバイオが注目されていましたし、技術の発展によってこれから伸びていく分野だろうな、と思って。大学では微生物学の研究室に入ったのですが、研究してみると、“謎解き”というか、生命の現象を解明するのが面白いと感じました。ただ、それだけでは物足りなさを感じて、企業への就職を考えました。当時から「協和発酵工業」はアミノ酸発酵の分野で定評がありましたし、入社できたのも願ったり叶ったりでした。

入社してみると、学生時代の“謎解き”みたいな自己満足の世界から、自分の研究成果によって、実際にお客様のもとに届くものとなって、大きなことが実現できると気づきました。企業の研究者として一番の醍醐味を感じています。

─その後、田畑さんは「ジペプチド」を合成する酵素を発見されますが、どういった経緯だったのですか。

田畑:入社以来、ずっと新製品開発のための基礎研究に携わってきたのですが、ジペプチドに取り組みはじめたのは入社4年目のことでした。「ジペプチド(Dipeptide)」とは、アミノ酸が2つつながったもののことをいいます(※)。アミノ酸の中には水に溶けにくいもの、水に溶けると分解するものもありますが、2つ結合したジペプチドになると溶けやすくなり、溶けても安定するようになるのです。

これら一部のアミノ酸は水に溶かした製品にすることができませんでしたが、そのアミノ酸を含むジペプチドにすることで、飲料をはじめ、医療(輸液)にも使えるようになることから、その有用性が注目されていました。けれども既存の方法では大量生産が難しく、コストの問題がありました。ある製薬会社さんからの要望で、ジペプチドの量産化を実現するための合成酵素を探索することになったんです。といっても、手がかりとなるような文献や先行研究があったわけでもなく、まったくのゼロから酵素を見つけなければならない。途方もないミッションでした。

もちろん過去の先輩方は、それこそ海や川、土壌といった自然のフィールドの中から微生物を探して、1つずつ試験管で実験評価するような方法で研究していました。とてつもなく手間をかけて、今や広く利用されるアミノ酸の生産菌を見つけだしてきたんです。ですから正攻法で行くなら、私も1つずつ探して、実験して、活性評価をしていくところではあるのですが…もう少し楽できないかなと思って(笑)。

当時、ゲノム解析がかなり進み、遺伝子配列の情報がデータベース化されていて、いくらでも調べられるようになっていました。それで、「こんなカタチの酵素があれば、合成できるのでは?」と勝手な仮説を立てて、ある程度当たりをつけて調べることにしたんです。データベースからありたいカタチ(アミノ酸配列)に近しい遺伝子を選抜することは容易で、それを組み換えた微生物を用いて評価を進めました。すると、構想から半年ほどで、最初の候補遺伝子に目的の酵素の活性が見つかったんです。ダメもとだと思っていたので、自分でも驚きましたね。

※タンパク質を構成するアミノ酸は、つながっている数によって呼び名が異なり、2つならジペプチド、数個つながったものはオリゴペプチドと呼ばれています。そして数十から数百つながったものがタンパク質です。

─仮説を立てていたからこそ、最短ルートを見つけられたのかもしれませんね。

田畑:そうですね(笑)。ただ、酵素を見つけるのはあっという間でしたが、そこから安定的な生産プロセスに乗せるまでには5、6年かかりました。単純に見つけた酵素をアミノ酸の生産菌へ組み換えるだけではだめで、そこから生産する能力を引き出すために代謝を変える育種が必要でした。

なにせ相手は微生物。実験では5リットルほどの小さな発酵槽ですが、工業生産ではその数百、数千倍の大きさになるので、生産菌の振る舞いも変わってきます。狭い部屋は落ち着くけど、広い部屋に行くとなんだかソワソワする人もいるじゃないですか(笑)。ですから、微生物の“ごきげんを伺う”というか、エサとなる培地の成分や温度、攪拌するスピードなんかを変えて、少しずつ調整して、そのサイズにおける最適な環境を見つけだす必要がありました。

“微生物まかせ”の難しさと面白さ

─「ジペプチド」と言われるとなかなかピンと来なかったのですが、なんだか発酵が身近に感じられてきました。田畑さんご自身は発酵にどんな魅力を感じていますか?

田畑:やっぱり生物を相手にしているので、育てていく感覚なんです。化学合成であれば、どんな反応で産物になるかは明確ですが、発酵の場合、微生物の営みに委ねるというか、微生物が増殖する際に起こる現象なので、あらゆる可能性がある。それが難しくもあり、面白いところです。

ですから、その伸びしろというか、「遊び」の部分を楽しめる人が発酵の研究者には向いているのかもしれませんね。今でも多少はやっていると思いますが、過去には微生物につきっきりで発酵の変化を観察したり、それが就業時間後の夜中や休日になってしまうこともありました。僕自身、研究が好きだからこそ、没頭してやってこれたんだろうなと思います。ほかの研究員も熱心な人が多くて、微生物の能力を最大限に引き出すため、ああでもないこうでもないとつねに考えているような人ばかり。研究を愛している人が多いんです。

あと、これは社風なのかもしれませんが、我々は何を作るにも、あくまで「発酵技術」にこだわるんです。先輩方から脈々と受け継がれてきた革新的な発酵技術があるので、それを活用しながら、お客様の声に応えるべく、他には真似できない方法で新しいものを生み出そうとしてきた。「何を作るか」よりも「発酵技術で作る」にこだわりがあるんです。

─そういった「遊び」と「こだわり」があるからこそ、思いもよらない発見につながるのかもしれませんね。

田畑:そうですね。私がジペプチドをつくる酵素を見つけられたのも、遊び心みたいなものがあったからかもしれません。と言っても、私の場合たまたま運よく早く見つけられたから良かったものの、今の所長という立場からすると、なかなか悠長に構えていられないところもあって…悩ましいものです(笑)。

発酵の力を使って大きなスケールで社会貢献していきたい

─研究所として今、力を入れているのはどんな分野ですか。

田畑:やはり新製品につながるような研究を推進しています。たとえば、人の母乳に含まれる成分「ヒトミルクオリゴ糖」は、協和発酵バイオが世界ではじめて量産化に成功しましたが、今年タイに製造工場が完成し、いよいよグローバルで販売展開することになっています。ほかにもいくつか健康機能を持つ新素材の製品化に向けて動いているプロジェクトがあります。持続的に新製品を世の中に展開できるよう、その種となるような研究成果を生み出していきたいです。

それとここ数年ますます、競合となるようなベンチャーやスタートアップが増えているように感じます。牛や豚などの畜肉や牛乳の代わりとなる「代替肉、代替タンパク」などが、まさにそういったものですよね。また、AIやアルゴリズムを活用して、短期間で私たちに匹敵するような微生物の発酵生産に関わる技術を開発してくる企業もある。その中で私たち「協和発酵バイオ」がいかに存在感を出していくのか、喫緊の課題です。

そういう意味では、若手研究員には期待しています。私が学生時代に学んでこなかったような領域もしっかり学んでいますし、それこそ最新の遺伝子や酵素構造の解析技術を学んだり、また微生物以外の研究をしてきた人も増えています。そういった多様な研究員たちに、技術・業界の常識やしがらみに関係なく柔軟な発想を発揮してもらいながら、思いもよらないものを生み出していきたいですね。

─これから研究員に求められる能力はどういったものでしょう?

田畑:これからの研究者って、研究のことだけ考えていればいいわけじゃないと思うんです。研究所にこもって専念するだけでなく、世の中にあるニーズや困りごとを調査するマーケッター的な役割も必要となってくることもある。実験ロボットやAIが当たり前になればなるほど、研究員が担う役割も様変わりして、その分、頭を使って独創的なアイデアを発想することが求められてくると思います。そういう意味では、うちの研究員は個性的な人も多いので、社風に合っているのかもしれませんね(笑)。

─田畑さん自身は発酵にどんな可能性があるとお考えですか?

田畑:「発酵」って、これからの時代に適した技術なんです。微生物の自然な営みに任せるものですから、温度も常温に近く、原料もブドウ糖など植物性のものがほとんど。生産プロセスの過程で出される廃棄物も、自然への負荷は低く処理できるものです。それこそ、サスティナビリティやビーガンといった、近年注目されている概念や価値観にも合っていますよね。

そもそも、協和発酵の歴史をさかのぼると、大戦中に当時の国策で、不足する航空機の燃料をサトウキビなどから発酵技術を使って製造する、今でいうバイオ燃料の開発を目指した研究所でした。その後、日本ではじめて「ストレプトマイシン」という抗生物質の発酵技術を導入量産化し、結核の撲滅にも貢献したんです。

今まさに新型コロナウイルスや環境問題によって世界中が翻弄されていますが、改めて創業当初の思いに立ち返り、感染症問題やエネルギー問題といった世界規模の課題に立ち向かえるよう、大きなスケールで社会に貢献できたらと思います。それだけの可能性が発酵にはあるはずです。

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文:大矢幸世新しいウインドウで開きます
写真:土田凌新しいウインドウで開きます

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